アルゼンチンとお金の話

Text&Photo_Rina Ishizuka.


(シリーズ第3回目)2013年、渡航することを決意した私たちは、アルゼンチンにいる友人のアナやフリアンたちへメールを送った。「そろそろそちらに行って、とりあえず一年住んでみるよ」と。



新聞社に勤め、フリーランスのカメラマンでもあるアナは交友が広く、海外旅行などで長期期間家を空けるブエノスアイレス市内に住む友人宅を勧めてくれた。この街の人は長いこと家を留守にする際に、友人に自宅を貸して住んでもらう習慣があるようだ。日本人と違って、自分の住まいを人に丸ごと貸すことに抵抗がないアルゼンチン人。彼らにとっては、賃料も入るし、不在中のペットや植物の世話をしてもらえる。一方の私たちは、いつまで住むか分からないのに家具や家電を購入するのは避けたかったし、ペットの世話だっていとわない。需要と供給が合っていた、というわけだ。



私たちが最初に住むこととなったその家には家具はもちろん、お世話が必要な猫ももれなく付いていた。東京の自宅は、信頼のおける知り合いにメンテナンスしてもらいながら住んでもらうことにした。



友人たちのアドバイスによると、アルゼンチンでの生活資金は米ドル現金を現地通貨のペソに両替するのが一番いい、ということだった。円を持ち込んでもアルゼンチンでは換金できないし、銀行口座も観光ビザしか持たない外国人が開くのは難易度が高い。さらには、アルゼンチン経済は相当不安定で、公定レートのほかにブルーレートと呼ばれる闇レート(当時は2倍ほどの差があった)が存在した。闇と言っても、市内でもレートがおおっぴらに二重で表示されている、一般的にまかり通ったレートだった。クレジットカードを利用すると率の悪い公定レートで換算されるため、米ドル紙幣をブルーレートで両替した上での現金払いが一番いい方法らしい。こうして、2年半に及ぶ現地生活のなかで、東京で言う大手町のような街の両替所へ何度走ったか分からないが、私たちの生活を支えてくれたのは事実。



ある経済学者はこう言った。


「世界には、4つの国しかない。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンである」


戦後にものすごい勢いで先進国となった日本、第一次大戦以降に世界第5位の先進国から途上国に転落してしまったアルゼンチン。



この2つの国に住むという経験は、なかなか稀有なことだと思う。地理的にもっとも遠い国に住んだということだけでなく、経済価値や仕事をする意味について…。こう書き出すと堅苦しいけれど、日本で会社を辞めて、何にも肩書きを持たなくなってしまった私はとことん考えた。地球上の諸悪の根源のように感じていた資本主義の成り立ちを知りたくなって、本を読んでみたりした。これから先、何をして生きていこう?子供を生んだとしても、その後も続けていける仕事がしたい。



国家や組織にまったく頼らず、自分のできることで、それがどんなことであれ、生き生きと働くアルゼンチンの友人たちが眩しくて、羨ましかった。



まずは私が持っているのに使っていなかった知識、ヨガを教えてみることにし、現地に住む日本企業の駐在員向けに出張レッスンを開始した。また、仕事で「書くこと」は20代から経験していたが、そこによりフォーカスしたいと思っていた矢先に、幸運にもライターの仕事が巡ってきた。日本の雑誌向けに現地のライフスタイルについて、また現地の日系人の読む新聞に記事を寄稿したりした。



こうして私は少しずつ、現地通貨でも稼ぎを得ながら、自分なりの仕事、生活スタイルを作っていった。






 


Author: 石塚理奈_ライター。1979年、東京都出身。夫、2人の息子とともに東京で暮らす。旅やヨガ、ライフスタイルに関する記事を執筆するほか、PR業にも携わる。ときどきヨガインストラクターとしても活動。

→この記事は今後も続くシリーズです。次回は6月半ばにアップ予定です。

分類:ストーリーズ/Stories

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