テーブルに旅の記憶を

コロナ禍が始まるよりもだいぶ前の夏の夜、友人が開くホームパーティに出かけた。そこで食した桃のコンポートが、今回のストーリーの糸口になっている。生の桃をマスカットのワインとカルダモンでマリネしただけという手軽な一品。友人が旅先から持ち帰ったレシピで作られたものだった。

Text_Subaru Kawachi. Photo_un pur…

桃のコンポート。記事の最後にレシピがあります。

テーブルには多彩な料理とワイン、そして桃のコンポートも。時々、開け放った窓からは始まったばかりの夏の風が入り込んでくる……そんなひととき。「イタリアの家庭にお邪魔した時に、この食べ方を教わったんだ」と、この日のホストである友人の飯塚有紀子さんは教えてくれた。フレッシュなままの生の桃と軽いワインの香りに、カルダモンのあの独特の爽やかさがアクセントとして現れる。その味わいが、このホームパーティの記憶を印象的なものに変えたのだった。

イタリアの農業地帯で出合う、食のもてなしと豊かな時間

飯塚さんは2017年、知人に誘われてイタリアのピエモンテ州を訪れた。農業や畜産業がさかんなピエモンテ州には、「アグリツーリズモ」という観光業態があるという。アグリツーリズモとは、農業と観光業をひとつにしたイタリア政府による取り組みだそうで、現地の生産者が自宅を宿とし、観光客はそこに滞在しながら農畜産の現場を視察する。採れた作物をふんだんに使った家庭料理をいただいたり、山羊の乳搾りを目の当たりにするといった日々の営みを体感する中で、観光客たちはその土地の風土や食文化と触れ合うのだそうだ。飯塚さんは、1週間の滞在で、ブドウの生産者やサラミ加工業者、ワイナリーなどを見て回り、再生可能エネルギーの開発に取り組む企業なども訪門。実に充実した旅程だったことが伝わってくる土産話だった。

ピエモンテでのワンシーン。夕食前には庭のテーブルにクロスをかけて、まずはアペリティーボの時間。明るいうちから乾杯し、ゆっくりと食事を楽しむのが習慣だそうだ。

「ピエモンテは気候と土壌に恵まれたところで、食材そのものが美味しいんです。その土地で暮らす人々も、食材の魅力を生かしてシンプルに食べることが上手だという印象を受けました。トマトひとつでも、ちょっとしたアレンジで特別なものに変えてしまう。それがとても贅沢に感じたんです。桃のコンポートもそういう料理のひとつですね」

何気ない日常生活の中の食がもたらすもの

そもそも飯塚さんはお菓子の方面で活躍する料理家だから、食に関する知識も豊富だし関心も高い。「家庭で作ることができ、そしてちゃんと美味しい」という切り口で「un pur…」(アンピュール)を立ち上げ、2000年から19年間にわたり料理教室を開催していた。現在はさまざまなメディアやプロジェクトに携わる傍ら、自身が立ち上げたウェブサイト「Eat at Home」(イート アット ホーム)を運営している。

Eat at Home

飯塚さんが2020年にスタートしたレシピサイト。多彩なお菓子やデザートを発信。

「家庭料理との出会いを思い返せば、……そうですね、子供の頃に夢中になった『赤毛のアン』が原点かもしれません。アンの生活の中に登場する食べ物にとても惹かれていました。例えば、チェリーパイやいちご水というような。季節ごとの食材を自分たちなりの工夫を凝らして料理する。その中には保存可能な品々も。…そういう食のあり方がとても豊かに映ったんですよね。ジャムやシロップのような保存食を手がけることが多いというのも、こういう思いがあるからなんです」

「Eat at Home」という名前にも、その思いは込められている。ここに掲載されているレシピはどれも、家庭で無理なく用意することが可能な季節の食材をもとに、美味しく作ることができるというのが特徴だ。また、ラインアップの中には、飯塚さんが旅先で出合ったさまざまなお菓子やデザートも数々。

旅先で出会う土地の味、それを取りまくライフスタイル

「旅に出る時には、現地の方から家庭料理や郷土料理を教わるというのが楽しみのひとつ。というのも、ネットやガイドブックで現地のことを調べると、出てくるのは有名店などの情報ですよね。家庭の食事についてはなかなか見えてこないものです。私が知りたいと思ったのは、そこで暮らす人たちが、どんなものを食べてどう暮らしているかということ。そういう思いが強かったので、その土地の料理作りを教えていただくアイデアが生まれたんだと思います」


旅の計画を始めるとともに、友人知人のつてをたどって現地の料理上手な方を紹介してもらう。そして時には、自身が日本の料理を教える機会もあるという。

「『せっかく日本から来てくれるなら』という話になって、招いていただく先で一緒に何かを作るんです。2018年に訪れたデンマークのコペンハーゲンでは、現地にお住まいの日本の方々からリクエストをいただき、和菓子作りのデモンストレーションを行いました」

写真は、在コペンハーゲンの人々に、花びら餅と桜餅の作り方をデモンストレーションする様子。

暮らしの中にあるストーリーとして、食を発信する思い

これだけ情報が豊富な時代になった今、海外の家庭料理はSNSなどでも探し出すことが可能だったりする。しかし、飯塚さんにとって大事なのは、自分自身の感覚でもって体感することなのだ。


「ひとつの料理がどんな風土や文化の中で生まれたのか。どんな人たちが作って、食べているのか。そうしたことに実際に触れてみると、つくづく思うんです。食べることはライフスタイルの一部であり、暮らしそのものを作る存在なんだと。その中に自分の身を置いて、時間の流れまでも体感する。そういう体験が教えてくれることって、実はとても多いものなんですよね。コロナ禍などさまざまな事情で海外へ行くことが難しくなってしまった中で、より強くそう思うようになりました」


彼女が旅した食文化は、やがてあたたかなもてなしやレシピになって、テーブルの上で誰かを笑顔にする。私にとってのこの桃のコンポートがそうだったように。今や、海外への旅はずいぶんと遠く離れたものになってしまった。少なくとも、そう感じる日々が続いている。だけど、またいつか異文化へと飛び込む機会が身近になることを願う。我が身でもって触れた新しい世界や体験は、日々を彩るクリエイティブな原動力になるのだから。


“Peach Moscato compote ”桃のモスカートワインコンポート

■材料

桃 2個

モスカートワイン 300ml

カルダモン 4粒

■作り方

1. 桃は皮ごとくし型にカットして、容器に入れておく。

2. 鍋にモスカートワインとカルダモンを入れ、沸騰させる。

3. [1]に[2]を入れて、紙蓋をする。粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やす。


飯塚有紀子_料理研究家・グラフィックデザイナー。「<un pur…>」 名義でのお菓子教室を経て、現在はレシピサイト<eat at home>運営。 暮らしの中のさまざまレシピを伝えている。 著書に「やさしいお菓子」「やさしい果物のお菓子」(雷鳥社)、「いつでもおやつ」(NHK出版)などがある。

Author: 河内すばる_インタビュアー/ライター。2013年より雑誌やウェブメディアを中心にタレント、アスリートのインタビュー記事を手掛ける。ネットで記事をお探しいただく際には、「SUBARU KAWACHI INTERVIEW」をキーワードにご検索ください。でないと主に自動車のスバルさんの情報がヒットします。
分類:インタビュー/Interviews
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